人の歴史
10/03/2024
1様々な猿人が誕生
大地溝帯の活動でアフリカの中央東寄りに山脈が形成されると、西側は大西洋からの湿った空気で豊かな森が残ったが、山脈の東側はフェーン現象により一気に乾燥化が進んだ。森で不自由無く暮らしていた猿は気候変動により、木の無いサバンナで暮らすことを余儀なくされました。、
木の実などの食べ物を地面で拾う機会は少なく、おとなしい獲物を見つけて食べます。
また、他の猛獣の狩の食べ残しも大事な食料でした。
猛獣が食べ残したバイソンの毛皮などをちぎって身にまといます。
獲物や自分たち自身が他の猛獣や猿、ハイエナ、狼などの集団に食われる前に見つけ、 食料にするか、食料にされるか、立って活動することで、より高い目線を得た者が、近寄る猛獣を早く見つけて素早く逃げることが可能になります。
立って活動することで、石や棒を手に持ち立ち獲物を捕っり、猛獣と闘うことが出来ました。
他の野生動物に比べ、猿人は生まれてから独り立ちできるまで、長い育てる時間が必要です。猿の時代は子を抱いて森の高い木の上に逃げれば猛獣から守れましたが、サバンナでは集団で幼児を守る必要がありました。
家族を中心としたグループを作り、個々のひ弱さをカバーし集団化して幼児を守ったグループだけが生き残りました。
家族で過ごす中で様々な知識を蓄え、家族間のコミュニケーション能力を持ちます。水や、獲物、イモを求めて移動し、時には 猛獣が食べ残した肉や、大型動物の骨を石で砕き骨髄を食べた。
良質のたんぱく質を得たことで脳容量が大きくなり、猿と別れたとも言われています。
2.気候変動
アフリカ東岸の気候も暑く、乾燥したなりに安定していたわけでなく、90万年前以降、約10万年毎に氷河期が起こり、その間1万年の間氷期が来る大きな寒暖差が発生しました。太陽からのエネルギー量がだいたい10万年の間に増えたり減ったりしています。これは地球が自転する軸がぶれて、太陽の周りを回る軌道が変化「ミランコビッチサイクル」で発生しています。
大きな気候変動の度、今迄暮していたエリアでは食物が手に入らなくなると、猿人の様々なグループが獲物を追って移動した。
暑くなれば北に、寒くなれば南に、大型の獲物が移動すれば、それを追って移動しました。
勿論、移動先でも気候変動に襲われると、更なる移動が必要で、異種猿人同士食料の奪い合いの戦いもありました。
乾燥したサバンナからナイル川源流に沿って北上するなかで主要な食料は魚や貝でした。
彼らの一部は北上し、ユーラシア大陸の険しい山脈にぶつかり、東へ進みマレーシアや中国にも侵入したアクティブな猿人がいました。
その猿人の中にはイモ、魚、貝、木の実などの食料を確保して、長い期間ある場所に定住し大きなグループを構成した原人と呼ばれるグループも誕生しました。
複数の家族が集まり共同生活した、様々な原人の遺骨がユーラシアのあちこちで見つけられています。
ジャワ原人、北京原人などはアフリカに起源を持ち、180万年前ころに登場しアジアに進出して絶滅したホモ・エレクトスの一種。
しかし、現在のインドネシア人、中国人の祖先とは言えません。
3.ネアンデルタール
北に移動したグループの中に、クル病を克服した者がいました。クル病は弱い紫外線の下で、骨が弱く脆くなり、変形したりもする病気。熱帯のアフリカで強い紫外線から身を守るために、メラニン色素を皮膚に集め順応した黒い猿人は、紫外線が弱まる森の奥や高緯度地方ではクル病に苦しめられました。
また、寒い季節には凍え死ないように、多くの毛皮や草を身に纏うことも紫外線が不足する一因でした。
皮膚のメラニンを減らし、白人化することでクル病を克服したネアンデルタール人は大きな勢力を持ち、長い間繁栄します。
しかし家族中心の小さなグループで生活することを好み、集団を大きくすることはありませんでした。カニバリズムの痕跡も発見されていることから、他の家族との交流を嫌う性格が強かったようです。
ネアンデルタールは様々な工夫・発明もしましたが、小さな家族のグループ内だけの利用に止まり、継承したり世代を超えて改良されることがなかった。
20万年前に生まれたホモ・サピエンスは、ネアンデルタールと4万年前まで共存する期間があり交雑もしたようです。
アフリカの黒人を除く人類のほとんどに、4%ネアンデルタール人に由来するDNAが見られるそうです。
氷河期を生き抜くためには、火の利用が欠かせません。
安全で暖かい夜を得た上に、焼くことで食べられる物が格段に増えます。
肉や魚は新鮮な場合は生で食えても、日がたてば火であぶることで雑菌を除く必要があり、野生の木の実、木の芽、雑草、イモ類も火を通すことで消化しやすくなります。
また、大型動物の狩には集団で取り掛かる必要があり、危険の通知、獲物の発見をグループに伝える為に、話す機能を持ちました。
4.ホモサピエンス
人類の直接の祖先が東アフリカで生まれたのか、南アフリカなのかは、まだ決着がついていません。ホモサピエンス最大の特徴は大きな集団で生活したことです。子供、家族を守るため、何人かの屈強なオスがいる複数の家族の集団を作りました。
ネアンデルタールと異なり、大きな集団であるメリットは優れた工夫・発明は継承され、更に世代を超えて改良され、様々な道具を発明され改良されました。
赤ん坊が成人化するまで長い間守り、育てる為に、複数の家族が共同生活する中で、役割分担が必要なので、会話力も向上しました。
焚火の側で子供に、共同生活のルールを教え、時には昔話をしたかもしれません。
大きな集団での共同生活で得たコミュニケーション能力は、生活圏が異なり、直接の利害関係が無い他のグループとの物々交換、情報交換も促しました。
5.人の特性
ネアンデルタール人が主に2~3の家族からなる小集団で暮していたのに比べると20~30の大家族で暮らしていたので、経験した知見グループ内で共有し、代々引き継いだ。豊富な好奇心もホモサピエンスの大きな特徴と言えます。
住み慣れたアフリカの地を離れて、獲物のとれる新たな土地を目指しとにかく進む。未知の地を恐れない強い好奇心も大きな特性でした。
2万年前の最終氷河期の最盛期や、10万年ごとに訪れた氷河期の最盛期には、北アメリカの半分と北欧の大部分は氷河に覆われていて、世界の海水面は110~120m低かった。
ホモ・サピエンスはマンモスを追って北に向かい、ある時期に凍ったベーリング海峡を渡り、アメリカを縦断し南アメリカの南端まで足を延ばします。
ちなみに南米で血液型O型の人の割合はヨーロッパ人の侵入が少ないところでは多い。 凍ったベーリング海峡を渡った向こう見ずの冒険家は血液型O型が多かったかもしれない
チリ 86.7%
エクアドル 77.4%
ペルー 71.4%
コロンビア 66.4%
ベネズエラ 62.0%
上記の通りホモ・サピエンスまでに様々な猿人が誕生し、一部は船を作り、大洋の島々にも流れ着きました。
腕力や体の大きさだけでなく、楽天的に環境に適合してきたホモ・サピエンスだけが生き残りました。
6.食料の確保 採取
野生動物の狩、海や川で貝ひろい、魚釣りや、魚つき、木の実、キノコ、イモ、新芽、樹液、様々な食べられるモノを採取しました。
獣にとって人間は木の実や果実、おとなしい動物、魚などの貴重な食物を奪い合う嫌な存在です。
気候変動や火山活動によって、今まで採れていた食物がとれなくなり、グループごと移動しなければならないケースも少なくなかった。
狩
棍棒、槍、弓を使い鳥や羊、小動物を捕まえて食料にしました、
集団で大畑のマンモス、トナカイ、バイソン等の大型動物も狩りするようになり、塩漬けなどで保存する方法も習得しました。
牧畜
羊、ヤギ、牛などの大人しい獣を餌になる草を求めて移動させ、これ等を食料として狙っている猛獣から守ることで飼いならしました。
また、敵対する狼の中から、人に服従する犬を選別し狩りや防御に活用します。
また、扱いにくい馬も苦労の末、手なずけ牧畜に欠かせない道具にしました。
農業
穀物がまいた種の数十倍収穫できることを覚え、実の多い穀物を開発することで大きな集団を維持することが可能になりました。
イモやトウモロコシなども、その地域に合った食料として栽培されました。
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿
ご意見をお待ちしております