人類は猿人、原人、旧人、新人に分類されると中学の教科で習います。
猿人はアフリカのチャドで今から440万年以上前(約700万年前とされている)の地層から発見されている(ここで見つかった猿人をサヘラントロプス=チャデンシスという)
猿人は脳の容量は約500cc、二本足で立って歩ける二足歩行(にそくほこう)が可能だったといわれています。
二足歩行ができるようになった結果、手で使う道具が発達していき、それにともなって知能も発達していったと考えられています。
猿人は石をそのまま使っていただけだった(ただし一部では打製石器を使っていた)。打製石器だせいせっきは旧石器きゅうせっきとも呼ばれます。
このような打製石器までしか使っていない時代を旧石器時代きゅうせっきじだいといわれています。

その後、類人猿という種類の人類も誕生しました。類人猿の特徴は直立二足歩行をしていてこの頃から打製石器の本格的な使用を始めました。

その後の100万年〜200万年後の時代の間に、人類はアフリカから出て、各地に散らばっていきました。
原人は今から約200万年ぐらい前に、登場。 脳の容量も猿人の倍になって約1000ccになりました。
アジア大陸の中国の北京ペキンの近くの周口店からは、 北京原人(シナントロプス=ペキネンシス)のあとが発見されています。
北京原人は火を使用していたことが分かっています。
インドネシアのジャワ島からはジャワ原人のあとが発見されています。
ドイツからはハイデルベルク人が発見されています。
原人は、言葉を話せました。また、火も道具として使っていました。
石器は、依然として打製石器を使っていますので、旧石器時代にふくまれます。

旧人
ドイツのネアンデルタールから旧人の ネアンデルタール人 のあとが発見されています。
1856年、ドイツのネアンデル渓谷で、石灰岩を採掘していた作業員たちが骨の化石を発見した。当初、クマの遺骨だと思われたそれは、実は歴史を変える大発見だった。
少なくとも40万年前〜4万年前に生き、その後絶滅してしまった古人類の祖先だった。
脳の大きさは私たちとほぼ同じだが、より前後に伸びていたと研究者は考えている。
ネアンデルタール人の脳の大きさや構造については現在も議論が続いているが、ネアンデルタール人の平均身長は男性が約162cm、女性が約152cmだったという意見で一致している。
ネアンデルタール人は、かつてユーラシア大陸に暮らしていた。
この地域の寒冷な気候に適応するために、引き締まった巨大な筋肉をもち、生きていくために1日最大4480キロカロリーも必要だったと研究者は考えている。
ネアンデルタール人は主に、マンモスやゾウ、ケブカサイなどの巨大動物を狩猟していた。
彼らは移動しながら小さな集団で暮らし、槍(やり)などの道具を使って肉食中心の生活をしていた。また植物も食べていた。
約4万年前に絶滅しているが、この頃、中央ヨーロッパで1000年にわたる急激な寒冷化が起こったことがわかっている。
ホモ・サピエンスが住んでいた地域では、寒冷化はそれほど深刻ではなかったと考えられており、この仮説を支持する人たちは、急に寒くなったせいでネアンデルタール人の人口が減った後に、現生人類が入りこみ、最終的に世界で最も優勢な種になったと考えている。
他にも、現生人類との戦いに敗れた。
武器に優越の差があった。 両者の集団の規模が違った(小さかった)
疫病に襲われた等推測されている。

現人類との関わり

ホモ・サピエンス発祥の土地であるアフリカ以外の地域に住む人類のDNAの最大4%は、ネアンデルタール人のDNAに遡ることができる。
この事実は、ネアンデルタール人と現生人類が交雑していたことを示している。

新人は 今から約20万年前に登場、脳の容量は約1500ccでかなり大きくなりました。
私達、現在の人間の直接の祖先である新人を、現生人類とも言い、また、 ホモ=サピエンス とも言います。
フランス南部からは クロマニョン人 のあとが発見されています。クロマニョン人が住んでいた洞窟の壁画から、当時の生活がわかり、狩りをしていたらしいことが絵から分かります。
クロマニョン人は打製石器や骨角器を使っていました。
フランスの洞窟の壁画のラスコーの壁画や、スペインの洞窟のアルタミラの壁画などから、動物の絵が見つかっており、どうやら狩りの成功を、クロマニョン人は、いのっていたようです。
我が国でも新人は発見されています。
新人になると、磨製石器を使用していたので、新石器時代です。 そして、人類の始まりから原人までは、旧石器の打製石器を使っているので旧石器時代と称します。