2農業/h4> 大きなグループを維持するには、採取だけで賄うのは難しく、安定して食料を確保することが必要でした。
チグリス川とユーフラテスの上流の川沿いの乾いた土地の平地は気候が温暖で、土壌の養分も多く、野生の麦類が自生し、羊、ヤギなどの草食動物が沢山住んでいました。
この地で、二つの食料確保の方法が芽生えます。
麦の一部を種として保存し、また蒔いて再生産する農業
羊、ヤギを草のある地に連れ歩く、肉や乳を食した牧畜
麦は豊かな土壌で適度の降雨があれば、まいた種の数倍から数十倍の実を収穫できます。
麦を刈り取る鎌、固い地面を掘り起こす鍬、実を粉にする石臼などが発明されました。
小さな森は木の皮を剥ぎ腐らせる為のナイフ、木を倒す斧も必要でした。ほとんどは 木を加工して作りましたが、ナイフ、斧、鎌、鍬には、硬い石を磨いて切れ味の良いの歯先を作りました。
磨いて作った石器は、割って切顔面を使った旧石器に対し、新石器と呼ばれます。
刈り取った葉と実を運ぶ為に、車輪も発明されました。
しかし、同じ土地で同じ作物を何年も続けて栽培すると土壌の養分が作物にとられ、土地がやせてしまい、その作物は採れなくなるので、しばらく休耕して、土壌の回復を待つ必要がありました。
今でも、アマゾンで行われている焼き畑農業で、耕地を拡大する方法も生み出されました。
北方で農業には難しい草原にいた牛を、飼いならし農業に利用します。
鋤(スキ)の発明と牛の力で耕地を深く掘り起こせるようになります。痩せた土地も深く耕すことで、休耕期間を短くすることが出来ました。
鋤は地面に刺さり、一頭又は複数の牛の力で土を掘り返していきます。鋤を引っ張るので、縦長の畑にして作業効率を上げる方法も発明されます。
乾燥地に必要な時に水を引いて農業を続けると、水は浸透し土壌の様々な金属イオンを溶かしこみますが、表面から水だけが蒸発します。乾いた地表に向かい、金属イオンを溶かた水は毛細管作用で上昇、水は蒸発、多くの金属イオンが地表に溜まります。
長い間灌漑農業を続けると、金属イオンが塩の結晶となり表面にたまるので、植物は浸透圧で根から逆に水分を抜かれるために育たなくなります。

作業員の動員

放棄せざるを得ない荒れた耕地になると、農民が新たな土地に移動しなければなりません。
湿地帯を灌漑したり、川の流れを変えて耕地を広げるには、大勢の動員が必要で、工事の間の水や食料の提供も求められました。
頑丈な日時計造りと専門家の執務・居住場所の建設
種をまくのに最適なタイミングを知る、季節風になぎ倒される前に素早く刈り取るタイミングを知る、暦が必要でした。
正確な暦を作るのは、天の神と近い専門の人の仕事でしたその指導の下で頑丈な日時計が作られ季節が告げられました。

3牧畜 乾燥して大木が育たない貧しい土壌の草原地帯では、おとなしいヤギや羊を草のある地に連れ歩き家畜として育て、その肉や乳を食するグループも 現れました。
毛皮を剥ぎ、衣服や移動可能な居住場所テントを作りました家具の移動の為に車輪も発明されます。
羊の長い毛を紡ぎ、布を織る織機も発明されました。
毛皮を薄く剥ぐ為に、鋭い切れ味のナイフが求められました。おとなしいヤギや羊を狙う虎、狼、盗賊と闘い退けるのも大事な任務であり、刃渡りの大きな山刀、弓矢などの武器も必要で、戦いの戦術を身に着ける必要もありました。
さらに北方に住んでいた牛や馬も飼いならし、家畜としました。
狼の子を育て、家畜の管理に利用しました。優れた嗅覚で獲物や、猛獣を早く発見することも出来ました。
馬に乗にるは鞍、蹄、鐙、丈夫なロープ、ズボンが必要で、乗りこなすには時間がかかりました。しかし、その機動性は高く、人類が得た最速の乗り物になりました。
彼らは農民も、自分たちの家畜のような意識があり、時々襲って農民の食料や種を略奪しました。

4交易と都市 移動する部族の中に特徴のある土地土地の物品を運び交換することを生業とする交易者、商人が生まれました。
乾燥地で暮せるラクダを使い、商人は遠方から様々なモノを持ち込みました。 鋭い切れ味の黒曜石、刀を作るのに最適な隕石、珍しい宝石、肉を旨くする香辛料も良く交換されました。
牧畜の民の肉、乳製品、毛皮、革袋と農業や漁業の民の穀物や野菜、魚を交換する市場が必要で、栄えた。
また、山で採れる青銅や貴金属などの鉱物資源や塩やアスファルトも重要な交易品だった。 狩や釣り、農耕等の様々な技術と必要な道具が、グループ内で共有され、引き継がれ続けた結果、様々な技術や道具は改良され、洗練され交換された。
水や食物、種を蓄える為に、粘土細工から陶器が発明された。
弓矢、矢じりの改良、毒矢など狩猟用具が改良された。
針が発明され、毛皮の衣服、靴が改良された。
釣り針や丸木舟が発明され漁が行われた。
様々な発明品は商人によって、直ぐに各地に広まりました。
長い流通路の間のオアシスには宿泊設備が出来て長距離移動を可能にし、度に必要な道具の修理職人や交換所も出来ました。
宿泊設備、交易市、修理工房などが結びついて、千人以上の大きな集団で暮した街の跡が遺跡として発掘されている。